略史
1949年(昭和24年)3月 | 三淵忠彦初代最高裁判所長官が、鈴木義雄法務総裁、福井盛太検事総長、海野晋吉日本弁護士会連合会(後に日本弁護士連合会)会長を招き、法曹談話会を開く。法曹談話会には学界代表(田中耕太郎、我妻栄、兼子一)も参加。 |
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1952年(昭和27年) | 日本法律家協会設立準備会を開く。 |
1952年(昭和27年)3月20日 | 日本法律家協会創設、協会規約を制定。有馬忠三郎が会長に選出された。内田力蔵が「法の支配」と題する講演を行った。 |
1952年(昭和27年)10月30日 | 福岡支部(後に九州支部と改称)の設置。 |
1952年(昭和27年)11月4日 | 札幌支部(後に北海道支部と改称)の設置。 |
1953年(昭和28年)4月22日 | 名古屋支部(後に中部支部と改称)の設置。 |
1953年(昭和28年)8月1日 | 広島支部(後に中国支部と改称)および高松支部(四国支部)の設置。 |
1953年(昭和28年)から 1959年(昭和34年) |
日本法律家協会シリーズ第1号ないし第15号発行。この間、ハーバード・ロー・スクール教授D.F.ケィヴァース、イリノイ州高等裁判所首席裁判官M.ファインバーク、アメリカ法律家協会会長R.G.ストーレーが来日し、各地で講演会、談話会を開催。ミシガン大学教授B.J.ジョージが「証拠の収集と提出に関する憲法上の制限について」講演、またインディアナ大学ジェローム・ホールが司法制度に関する講演を行った。この間に「法廷秩序等に関する特別委員会」を設置し、これに関する立法に寄与した。アジア法律家会議に代表(長野国助ら)を送った。 |
1954年(昭和29年)5月29日 | 仙台支部(後に東北支部と改称)の設置。 |
1954年(昭和29年)7月10日 | 東京支部(後に関東支部と改称)の設置。 |
1956年(昭和31年)2月21日 | 近畿支部を設置。 |
1958年(昭和33年)12月2日 | 小林俊三が第2代会長に選任された。同会長の提案により、機関紙「法の支配」が創刊された。創刊号には、伊藤正己「近代国家における裁判所-砂川事件をめぐる雑感」、ABA前会長C.S.ラインを囲む座談会などが掲載されている。 |
1959年(昭和34年)6月29日 | オックスフォード大学教授A.L.グッドハートを招待し、講演会を開催した。 |
1960年(昭和35年)6月4日 | 東京支部がハーバード大学教授グリュックの講演会を開催(刑事司法の科学的運用)。 |
1960年(昭和35年)11月28日 | 藤田八郎第3代会長に就任。 |
1961年(昭和36年)5月10日 | 「法曹一元を実現する具体的要綱」の作成。 |
1961年(昭和36年)9月17日 | 法による世界平和アジア会議開催。 |
1963年(昭和38年)11月27日 | 谷村唯一郎第4代会長に就任。日本人の違法意識、臨時司法制度調査会などの問題に取り組む(平野龍一ら)。 |
1966年(昭和41年)8月31日 | 「法の支配」第13号「大学の自治」を特集。 |
1967年(昭和42年)2月15日 | イギリス貴族院議員H.W.ショークロス男爵の講演会を行った。 |
1968年(昭和43年)10月9日 | ドイツ連邦共和国憲法裁判所長官G.ミュラーの歓迎レセプションを開催。 |
1969年(昭和44年)8月10日 | 「法の支配」第17号を刊行。明治時代以降の司法制度を回顧。同第18号において戦後の司法制度の回顧と展望をした。 |
1969年(昭和44年)年末 | 吉川大二郎が第5代会長に就任。 |
1970年(昭和45年)6月15日 | ノース・ウェスタン大学教授N.L.ネイザンスンの講演会を開催(「法の支配」第19号)。 |
1972年(昭和47年)5月30日 | 「裁判官の法曹倫理」について座談会(石田和外最高裁長官司会)を開催(「法の支配」第22号)。 |
1973年(昭和48年)11月19日 | 財団法人日本法律家協会に組織変更。 |
1979年(昭和54年)4月21日 | 1978年(昭和53年)に吉川会長ご逝去の後、江里口清雄副会長が代行を務めていたが、藤林益三が第6代会長に就任。 |
1979年(昭和54年)12月30日 | 法曹の国際交流の重要性を強調(藤林会長)。 |
1980年(昭和55年)4月30日 | 加藤一郎、竹内昭夫、新堂幸司らが「消費者の権利とその実現」の問題を検討(「法の支配」第42号)。 |
1981年(昭和56年)1月30日 | 「法の支配」第45号(平出禾氏追悼号)を発行。 |
1981年(昭和56年)2月8日 | ウォレン・E・バーガー(アメリカ合衆国最高裁判所首席裁判官)を招待し、懇親会を開いた。同氏のABA年次総会講演を千種司法法制部長が紹介。 |
1981年(昭和56年)5月10日 | 松尾浩也、鈴木義男、井上正仁らが刑事裁判実務の検討。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、アジア諸国との比較。 |
1982年(昭和57年)3月30日 | 司法記者が語る最高裁草創期の秘話(朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、読売新聞)(「法の支配」第50号)。 |
1990年-92年 | 英米の陪審制度を検討。 |
1993年(平成5年)3月25日 | 「法の支配」第91号を刊行し、『日法協創立40周年を迎えて』(大内恒夫、勝尾鐐三、岸星一、竹村照雄、辻中一二三、内藤頼博、原秀男、藤林益三、三ヶ月章、矢崎憲正、鈴木秀雄、大平恵吾、藤井冨弘、吉田欣子) |
1994年(平成6年)5月18日 | 藤林益三が米寿を前に退任し、大内恒夫が第7代会長に就任。 |
1994年(平成6年)5月24日 | 法曹会館においてアンリ・カピタン協会大会の出席者を歓迎するレセプションを開催。海外の大学教授等120名が参加。 |
1996年-98年 | 代替的紛争処理制度(ADR)の検討を行う。 |
2001年(平成13年) | 司法制度改革に関するさまざまな検討を行う。田尾桃二「司法制度改革審議会意見書をめぐって三ヶ月章先生に聞く」法の支配123号。2001年11月17日にシンポジュームを開催。田尾桃二「法科大学院のカリキュラム・教育方法を考える」法の支配124号(詳細はNBLに掲載)。 |
2005年(平成17年) | 民事法判例研究会を発足させた。 |
2007年(平成19年)5月 | 大内恒夫が退任し、千種秀夫が第8代会長に就任した。 |
2013年(平成25年)4月1日 | 一般財団法人日本法律家協会に組織変更。 |
2015年(平成27年)6月 | 千種秀夫が退任し、金築誠志が第9代会長に就任した。 |
2022年(令和4年)11月 | 金築誠志が退任し、小池裕が第10代会長に就任した。 |
組織
1.会員及び賛助会員
協会の会員は,正会員,準会員及び名誉会員及び賛助会員からなります。
(1)正会員
- 弁護士,裁判官,検察官,公証人及び大学(大学院を含む。)の法律学の教授若しくは准教授の職にあるもの,又はそれらの職にあった者
- アの者を除くほか,法律に関する職務若しくは法律学の研究に従事する者,又はそれに従事した者
(2)準会員
協会の目的に賛同する外国の法曹
※(1)(2)の者が入会するには,業務執行理事の承認が必要となります。
(3)名誉会員
協会に功労のあった者又は学識経験者で,理事会において推薦された者
(4)賛助会員
会員からの紹介により、本協会の趣旨に賛同される会社その他の法人
※(4)の者が入会するには、業務執行理事の承認が必要となります。
2.本部組織
会長,顧問,副会長,評議員,理事,監事,幹事会,運営会議,編集委員会,財務・経理委員会,国際交流委員会
3.支部組織
九州支部(昭和27年10月30日に福岡支部として設置,後に改名)
北海道支部(昭和27年10月30日に札幌支部として設置,後に改名)
中部支部(昭和28年4月22日に名古屋支部として設置,後に改名)
中国支部(昭和28年8月1日に広島支部として設置,後に改名)
四国支部(昭和28年8月1日に髙松支部として設置,後に改名)
東北支部(昭和29年5月29日に仙台支部として設置,後に改名)
関東支部(昭和29年7月10日に東京支部として設置,後に改名)
近畿支部(昭和31年2月21日に設置)
諸活動
1.日本法律家協会は司法の発達、法曹の向上及び法学の進歩を図ることを目的としています。
2.協会は上記の目的を達成するため、次の事業を行っています。
(1)司法、法曹及び法学に関する調査研究
(2)機関誌等(「法の支配」と「窓」)の発行及び資料の刊行
(3)研究会、講演会その他の集会の開催
(4)外国の法曹との交流
(5)その他協会の目的を達成するために必要な事業
3.活動状況
協会は機関誌「法の支配」を年4回、会誌「窓」を年2回発行し、会員に無償配布するほか、本部及び各支部において、毎年定時総会を開き、また講演会・見学会・親睦会・見学旅行等の行事を開催したり、外国法曹との交流を図るなど、諸活動を展開しています。これまで行ってきた諸活動の主なものについて、「日本法律家協会の略史」をご覧ください。
4.支部だより
北海道支部
東北支部
関東支部
中部支部 法曹中部100号(PDF)
近畿支部
中国支部
九州支部
四国支部